BLOG 西精工の日常

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2026.11.09

リーダーシップ勉強会 その1:「知る」とは自分が変わること

先日、社長が講師をしてくださる「リーダーシップ勉強会」が行われました!
社長、今月もよろしくお願いいたします!

まずは、いつものように前回の「おさらい」をしてくださいました。
せっかくなので「その1」では、前回の「おさらい」を列記してきます。
※詳しくは、前回のリーダーシップ勉強会を紹介したブログ(2026.09.03~09.04)をご覧ください。

前回は、養老孟司氏の「教養とは、人の心が分かること」について教えていただきました。

・養老孟司氏が恩師から受け継いだ言葉:「教養とは、人の心が分かること」
 一般的に「教養がある人」・・・たくさん本を読んでいて、歴史や文化についてよく知っている。
  養老孟司氏→「知識が多いことと、教養があることは同じではない」
    「知識」・・・知っている。
    「教養」・・・その知識を通じて人間を理解する力。

 例えば、経済学を知っている人が会社の数字を理解することはできるが、
 業績が悪化した時、そこで働く社員が何を感じているのか?
 家族を抱えた社員がどんな不安を抱えているのか?、まで想像するのは別の問題。

 歴史を知っている人は、過去に起きた出来事を説明できるが、
 その時代を生きた人間が、何を恐れ、何を信じ、何を守ろうとしたのかまで想像するのは別の問題。

 つまり、教養とは「知っている」ことではなく、「知ったことで人間の見え方が変わること」。

養老孟司氏は「知るということは、自分が変わること」とも言っている。

 本を百冊読んで知識が百個増えるなら、それは「物知り」でしかないが、
 一冊の本でも、今まで理解できなかった人の気持ちが少し分かるようになったら、それは「教養」。

 誤解してはいけないのは、「人の心が分かる」というのは、相手の意見に賛成することでも、
 相手の言うことを受け入れることでもなく、
   「なぜこの人はそう考えるんだろう?」
 と、一度立ち止まれること。
 自分の価値観だけをものさしにしない姿勢にある。

 人間は、自分が理解できる範囲でしか世界を見ようとぜず、自分の常識が世の中の常識になっている。
 だからこそ教養とは、知識を増やすことだけでなく
   「自分のものの見方は限界がある」
 と知ることでもある。

思想家の内田樹氏は、教養教育の役割を「自分自身をMAPすること」と表現している。

 「MAP=地図」の大切なところは、「自分がどこにいるか?」だけではなく、
 「自分が知らない場所がこれほどたくさんあるのか」ということに気づかせてくれるところにある。

 教養のある人ほど、「自分は何でも知っている」とは考えない。
 「まだ自分には分からないこと、自分とは違う見方がある」と考えている。

 この「分からなさ」に耐える力こそが教養なのかもしれない。

教養とは、「身につくもの」である。
 そして「応用が利く」というのは、身についたことでしか起こらない。

 日本の教養教育がダメになったのは、「身につくこと」をしなくなったから。
 技法を勉強しても、それは勉強家になるだけで、教養にはならない。
 知識が増えても、行動に影響がなければ、それは現実にはならない。

前回の勉強会の最後に、2つのことを解説してくださいました。
「知ること」の本質に触れる、2つの例です。

ひとつめは、「自分が癌の告知を受けたら」。

「あなたは癌ですよ」・・・そう宣告されて、自分の病気を知る。
本人にしてみれば、これは「知る」ことです。
 「あなたは癌ですよ。せいぜいもって半年です」
そう言われたらどうなるか?

余命宣告され、それを納得した瞬間から、自分が変わります。
世間がそれまでとは違って見えます。
でも、世間が変わったのではなく、見ている自分が変わったのです。
つまり、「知る」とは「自分が変わること」なのです。

ふたつめは論語から。
 「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」

一般的な解釈は、「朝、学問をすれば、夜には死んでもいい・・・学問はそれくらいありがたいものだ」です。
しかし養老孟司氏は違う解釈をしています。
学習すると「それまでの自分は何を考えていたんだ」と思うようになる。
前の自分が死ぬわけです。

 「学習をすることで、前の自分は死に、新しい自分が生まれる」

次回、「その2」では、新しい学びを紹介予定です!
「目の前の仕事を好きになる」・・・といったことを深く解説していただきます。
ぜひご覧ください!

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